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特に興味が湧き調査していること(第一弾)

※加筆2006年12月12日
狂ってますよ!  投稿者:通りすがり 投稿日:12月 5日(火)19時44分19秒
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INDEXの時計の表示が・・さらに思想思考も・・ 毒薬・七輪などいりません。ロープ1本あれば。
ご冥福をお祈りします。合掌

上記のような書き込みが掲示板にあったので、加筆するしかないと思った。どうも「興味が沸いて調査した」という意味をトンでもないくらい勘違いして「狂った」書き込みを「匿名」の輩に貰ったので、仕方なく管理人として「お断り」を書いておく。

管理人に先日もメールを寄越した地元の人がいた。その人も管理人の「死生観」や「自殺」に関する「思考」に文句を言いたかったらしい。管理人の過去の人生や哲学など知る由も無い輩に非難される覚えは一切無い。

この掲示板への書き込みも、メールをくれた人も管理人がたくさん書いている文章の一部だけを取り上げて「狂っている」とか、言いたいらしい。しかし、良く考えれば分かるはずだが。

それは、延々と切々と「自殺論」を展開した文章でもなく、他人に自殺を推奨する文章・文脈でもない。管理人は「自殺をする権利は侵害されてはならない」と言っているのであり、自殺するのは「本人の自由である」と言っている。

また、このページで以下に書いている文章も「興味が沸き調査・・」と断言している。また、読んだ人がどのように感じようが管理人には興味は無いが、執筆者の思想や思考または哲学などを一切理解できない、単純な脳味噌の持ち主に「狂っている」などと誹謗中傷される覚えは無い。

これらは、論評した文章ではなく「明らかな誹謗中傷」である。こういう文章を執筆者である管理人に送る人は「デリケートさが無く万人が持つ一個人の権利全般」に無理解であり、自分の思想や思考が万人に理解され、全員が納得し、自分の論を応援してくれる、と錯覚を起こしていると推測できる。

以上のような観点から、このページを削除しようかと考えたが、こういう書き込みやメールなどを管理人に「自分は正義を遂行している」と錯覚している輩に対する「当てつけ」として、保存することにした。

管理人も、他人のブログやHPの掲示板などにコメントを残すが、このような手合いの文章を残すことは一切無い。そもそも匿名で書くことが殆ど無い。ましてや、誹謗中傷と誤解されやすい文章は書かないように最大限努力している。

馬鹿は死んでも治らない・・・と言うが、管理人の思想や思考を「治らない・・・狂っている」と言いたい人には「同じ言葉をお返しします」と言って終わりにする。

参考文献 クリックで拡大 「日本人の死生観」が読めます 「日本人の死生観」必読 お薦め

以下が最初から書いてある文章である。


最近自殺に興味が湧きネットで色々検索している。

色々な掲示板あり、医学的なサイトあり、自殺願望者や悩みを抱えて自殺を考えている者達が集い色々話し合っているサイト・・・。

中には服毒自殺に関連した専門知識のある人が数名出て来る掲示板などもあった。

興味深かったのは、現在病院や薬局で手に入る毒物(薬品類)では、簡単には死ねないらしい・・・ということだった。

その要因のひとつとして挙げられていたのが、薬の効能がある意味において制限を受けているようなことだった。一時期服毒自殺やネットを通じた毒物売買が自殺の引き金になったりしたことが要因となったんだろう。

つまり、市販の薬物や病院で処方される薬でも結構死ねる確立は高いものもあるらしいが、そういう者達に限って?家族などに発見されてしまい、中々自殺を遂げられないらしい・・・というのだ。

僕にも自殺願望があるので、色々検索したんだが薬物が中々手に入らない、例え飲んでも発見が早いと中々死ねない。下手すれば半身不随になってしまう可能性もある。

これでは中々自殺などでいない、だからネット掲示板を通じた車中における練炭自殺が後を絶たないのかもしれない。ネットを通じて知り合った若者たちが集団で練炭自殺をする背景には、このような事情があるのは明白なことではないのか。

しかし、僕は少しおかしいのではないかと思うことがある。

それは、生きる権利を主張する一方で、死ぬ権利も持ち合わせていると思うんだが、違うのだろうか?自殺は犯罪だとか、法律で縛るべきだとかいう意見も時々聞くが、それは本当に危険な論理であると思える。

僕の哲学には「人間はすべてにおいて自由である」というのが真っ先にある。その理由は「憲法や法律は集団で社会を運営するためだけに止むを得ず作られたものであり、元来人間は何事にも左右されない自由を皆が共有している」と、考えているからだ。

良く考えれば分かることである。

それは戦争を考えれば分かりやすい。国家の上層部は戦争を始めるが、国民・一般人は止むを得ず駆り出される。それでも行きたくない人は逃げ回る。そして逃げ回った人たちが現在でも一般人として生きているし、特別批難されている訳ではない。

その逆に好き好んで戦地に出向き、命がけで戦い死んでしまう人もいる。生きて帰ってきて英雄と呼ばれる人もいる。それぞれが単にその人の選択によるのではないかと考えるのが妥当ではないのか。

僕のこの説明が最も的を射た解釈だと思うが、この例えを以ってしても「自殺はいけない」という人たちは大勢いる。

僕の父もその中の一人だ。

もう何十年も前から父と付き合い、宗教的、倫理的、哲学的な話を繰り返したくさんして来たが父は一貫して自殺には否定的であり、自殺者を冒涜するかのような言葉まで口に出す。

それが嫌いだとか思ったことはないが、僕には理解できない思想に間違いはない。人間は誰であっても何処にいても、どんな生い立ちでも皆がそれぞれ自由であり、決して誰にも干渉されないものを持っている。

にも関わらず、極一部の事柄に関してだけ強く否定するのは「ナンセンス」としか僕には言えない。

それが僕の自殺に関する考えであり、服毒で死ねないなら他の方法はないものかと、また明日から検索をしてみようかな・・・と、思う。

人間はいつかは死んでいく。その時期を自分で決めるのも良し、運命に逆らわず長生きするも良し、他人に誘われて集団自殺するも良し・・・。

結局自分で考え自分で行動し、自分が責任を取ればいいだけのこと。

それと、人間が一人死ぬと必ずや誰かに迷惑を掛ける。家族であろうが他人であろうが、会社であろうが・・・。

だから、遺書に「迷惑を掛けてすみません」などと、書く必要はないと僕は思うけど・・・勝手な考えかな?

06年07月25日 火曜日 1:36:06

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